高畑勲監督のテレビアニメ「赤毛のアン」は、1979年に「世界名作劇場」シリーズの一作としておよそ1年にわたり全50話で放映されました。原作の魅力を最大限に引き出した作品として、今なお多くの人々に愛されています。
一方、2025年4月にNHKが放送を開始した再アニメ作品「アン・シャーリー」は放送初回からいろいろと波紋を呼んでいます。「赤毛のアン」がL・M・モンゴメリの原作小説に最大限のリスペクトをもって制作された名作だっただけに、現代風にアレンジされた「アン・シャーリー」が今後どのような評価を受けていくのか気になるところです。
もくじ
高畑勲版「赤毛のアン」の素晴らしさ
監督・演出の高畑勲氏が原作に忠実であることにこだわって制作した「赤毛のアン」。宮崎駿氏も15話まで作画スタッフとして関わっていました。
- 原作への深い理解と丁寧な描写:
- 高畑勲監督は、原作を徹底的に読み込み、アンの豊かな想像力や繊細な感情、プリンスエドワード島の美しい風景などを丁寧に描写しました。
- 特に、アンの心の動きや、自然の描写に力を入れており、視聴者はまるで自分が物語の世界に入り込んだかのような感覚を覚えます。
- 制作当時、もっとも原書に忠実な完訳と評されていた神山妙子訳のものが底本となっています。
- リアリズムにこだわった演出:
- 高畑勲監督は、日常の細やかな描写を大切にし、アンや周囲の人々の暮らしをリアルに描き出しました。
- 例えば、食事の場面や家事の様子、ふきんを熱湯につけて消毒してから干すシーンなどを丁寧に描写することで、物語に説得力と深みを与えています。
- キャラクターの魅力:
- アンはもちろん、マリラやマシュウ、ダイアナなど、登場人物たちの個性を豊かに描き出し、彼らの心の成長を丁寧に追いました。
- 特に、アンの成長を通して、人間関係の大切さや、生きることの喜びと悲しみなどを深く掘り下げています。
原作に忠実なあまり、駅からグリーンゲーブルズへの馬車の上で第1話が終了するのも印象的で、独特なテンポが逆に高評価につながっています。ところどころに入るメルヘンチックな演出も効果てきめん。
オープニング曲の「きこえるかしら」もアンの世界観を絶妙なセンスで表現した名曲とされています。歌詞に”赤毛のアン”が全く入っていないのも素晴らしいとされる点です。
2025年版NHKアニメ「アン・シャーリー」について
2025年4月からNHK Eテレで放送開始予定の新作アニメ「アン・シャーリー」は、モンゴメリの原作小説「赤毛のアン」シリーズを新たにアニメ化した作品です。(監督:川又浩、シリーズ構成:高橋ナツコ、キャラクターデザイン:土屋堅一)
- 新たな試みと期待:
- 今作では、アンが少女から大人へと成長する過程を、「アンとマリラ、マシュウという新しい家族の絆」「アンとダイアナの友情」「アンとギルバートのロマンス」の3つの要素を柱とした青春物語として描かれます。
- アンの成長した姿や恋愛模様がどの様に描かれるのか期待されています。
- 高畑勲版との比較:
- 高畑勲版が原作の日常を忠実に描いているのに対し、新作はアンの成長と恋愛に重点を置いている点で大きく異なります。
- 高畑勲版のファンからは、原作の魅力を損なわないか、アンの成長した姿をどのように描くのか、などの懸念の声も上がっています。
- 懸念点
- 高畑勲版の完成度があまりにも高い為、比較される事は避けられないでしょう。
- アンの成長した姿や恋愛模様を描くにあたり、原作のイメージを損なわないか。
- 高畑勲版の様な日常の丁寧な描写がなされるのか。
2025年版アニメ「アン・シャーリー」が指摘されている具体的な内容
2025年版アニメ「アン・シャーリー」が原作ファンや翻訳家、高畑勲版のファンなどから指摘されているのは次のような点です。
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原作の文体・言葉の選び方が大きく損なわれている。
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重要な台詞が簡略化・改変されており、原作の精神性が薄れている。
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日本アニメーション版(高畑勲監督)の丁寧な脚色や描写との比較で、新作が「表面的」「記号的」になっているとの印象を受ける。
さらに、キャラクターの表現や演出に対しても「過度に感情的」「演劇的すぎる」という懸念があり、視聴者の想像力に訴える静けさや余白が失われているという評価が見られます。
#アンシャーリー を観たんだけど、作画も構成も凄く良いのだが、何か足りない気がしてしまう。
高畑勲の「赤毛のアン」と比較してしまうと深みと言おうか、壮大さが感じられないんだよな~🤔
高畑勲の「赤毛のアン」はOPだけでもそれが感じられるのでね~☝️
やはり表現力が違うんだよな~❗️ pic.twitter.com/xklIbcyBOA— 草屋 倶楽部 (@938kurabu) April 6, 2025
翻訳家の松本侑子氏など、多くの人々が2025年版NHKアニメ「アン・シャーリー」について指摘している矛盾点は、主に以下の2点です。
- アンの服装について:
- 原作において、アンは自身の赤毛を嫌い、また服装についても地味なものを好む傾向があります。しかし、公開されたキービジュアルにおいて、アンがピンク色の服を着ていることに対し、原作のイメージと異なると指摘しています。
- 原作の要素の扱いについて:
- 新作アニメでは、アンの成長と恋愛に重点を置いているため、原作の日常描写が省略される可能性があることを懸念しています。アンの性格や普段の姿勢、愛用してているカバンの種類など、気になる要素はいろいろあります。
松本侑子氏は、原作の翻訳者として、その世界観やキャラクターへの深い理解を持っています。そのため、アニメ化にあたって、原作の要素がどのように扱われるかについて、強い関心を持っていると考えられます。
アニメ「アン・シャーリー」では、主人公アンがピンク色の服を着ている描写があり、これが原作ファンの間で大きな議論を呼んでいます。原作『赤毛のアン』では、アン自身が「赤毛の人間はピンク色を着るべきではない」と明言しており、これは19世紀当時の西洋社会における色彩の暗黙のルールを反映したものでもあります。松本侑子氏もこの点を指摘し、赤毛の女性がピンクや赤を着ることは「みっともない」とされていた時代背景を無視していると批判しています。
「アン・シャーリー」校閲を希望②アンはピンクの服を着ません。
村岡訳「赤い髪をした者はたとえ想像でもピンクのものは着られないのよ」Redheaded people can’t wear pink, not even in imagination.
新作アニメに期待しています。世界で通用する名作にするために、ぜひ私に校閲をさせてください。 https://t.co/AvpnWYNvzH
— 松本侑子❣初の全文訳『赤毛のアン』文春文庫、新刊『赤毛のアン論 八つの扉』文春新書 (@officeyuko) April 5, 2025
原作では、アンがピンク色の服を着ることを避ける理由が明確に描かれています。彼女は自分の赤毛をコンプレックスに感じており、ピンク色が赤毛と調和しないと考えていました。この設定は、アンの自己認識や時代背景を反映した重要な要素です。そのため、アニメでピンク色の服を着たアンが描かれたことは、原作のテーマやキャラクターの一貫性を損なうものとして批判されています。
また、2025年版アニメではダイアナの瞳の色についても多く指摘されています。原作のダイアナはブラック・アイリッシュ系で黒い髪と黒い瞳が特徴とされているのに対し、アニメでは青い瞳にモスグリーンに見える髪の少女として描かれています。キャラクターの本質的な部分の安易な改変は、近年のディズニー作品に代表される”ホワイトウォッシュ”にも似ており、その目的が疑問視されがちです。
高畑アンが素晴らしすぎて、NHKアン・シャーリーが薄ペラく見える。
マシューはとても人見知りで温かいくマリラをとても慕っているし、マリラはもう少し厳格で感情を表に出さない堅実な兄想いの人を出して欲しかった。2話のミドリ髪の親友に耐えられるだろうか?#アン・シャーリー反省会— 某 (@Kin2Ash) April 7, 2025
「赤毛のアン」は分厚い大人のファン層が存在し続けている名作なので、その取り扱いには十分な配慮が必要です。2025年版アニメ「アン・シャーリー」がその点について事前にどこまでリサーチしていたのかを疑問視する声は少なくありません。
「アン・シャーリー」にざわざわしてる我々に「未読の子供に向けたアニメなのにいい歳の大人が何騒いでる?」と言われたけど、子供の頃から大事にしてた作品を「理由もわからず改変」されたのは「大事な宝物にいたずら」されたようで、黙ってられないの。全世代に愛された作品の背負った責任だと思う。
— 篠原正美/すずはら篠 (@suzan2nd) April 6, 2025
ただし、「制作側は原作を読んでないのではないか」という批判に関しては正しくないようで、公式サイトに掲載されているスタッフのコメントには原作に向き合った旨が書かれています。
世界中の方々に愛されている作品ですので、(制作に携わる)楽しみや喜びよりもプレッシャーが大きかったのが正直な感想です。[監督:川又 浩]
人それぞれのアン・シャーリー像があると思います。今回はそのイメージにとらわれずもう一度原作と向き合い、自分なりの解釈でアンを表現してみました。[監督:川又 浩]
村岡花⼦さんの翻訳と原⽂を読み直しました。今読んでもこの上なく夢のような時間を過ごせます。[シリーズ構成:高橋ナツコ]
ちなみにキャラクターデザインを担当した土屋 堅一氏はウォルト・ディズニー・アニメーション・ジャパンで原画を手掛けていたこともある方で、新海誠監督作品『言の葉の庭』(キャラクターデザイン)、『君の名は。』(作画監督・原画)、『すずめの戸締まり』(作画監督・原画)にも参画しています。公式サイトには下記のようなコメントがあります。
監督のイメージしている世界観に近づけられるようにデザインをしていきました。また、アニメーターの皆さんにも楽しんで表現していただけるようなキャラクターになればと思いデザインしました。[キャラクターデザイン:土屋 堅一]
アンの人物像への解釈の違い
原作におけるアン・シャーリーは孤児院からグリーン・ゲイブルズに引き取られた11歳の少女です。彼女は豊かな想像力と明るい性格を持ち、周囲の人々に強い影響を与えるキャラクターとして描かれています。
アニメ化にあたり、アン・シャーリーの人物像をどのように解釈したかによって、キャラクターの特性が変わってきます。当然ながら人により解釈は異なります。
以下に、一般的と思われるアン・シャーリーの人物像をまとめてみます。
生活態度と姿勢
アンは、非常に前向きで楽観的な性格を持っています。彼女は自分の境遇に対して悲観的になることはなく、むしろ新しい環境に対して期待を抱きます。彼女のキャラクターには以下のような特徴があります。
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想像力豊か: アンは常に自分の周囲の世界を美しく、夢のように描写します。彼女は日常の中に小さな喜びを見出し、物事をポジティブに捉える能力があります。
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情熱的: 彼女は自分の感情を率直に表現し、喜びや悲しみを大切にします。特に、彼女の感情表現は非常に豊かで、周囲の人々に強い印象を与えます。
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社交的: アンは非常におしゃべりで、人とのコミュニケーションを楽しむ性格です。彼女の話術は、彼女の魅力の一部であり、周囲の人々との関係を深める要因となっています。
姿勢とたたずまい
アンの姿勢やたたずまいは、彼女の内面的な特性を反映しています。
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自信に満ちた姿勢: 彼女は自分の意見をしっかりと持ち、他人に対しても自分を表現することを恐れません。背筋をしゃんと伸ばし、自分の足で強く大地に立っています。この自信は、彼女の成長過程において重要な要素です。
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独特の動き: アンはしばしば奇妙でユニークな動きを見せます。これは彼女の個性を強調し、周囲の人々にとって印象的な存在となる要因です。空想が得意な彼女は優秀な演技者でもあります。
外見の特徴
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赤毛: アンの髪は「赤ん坊のように真っ赤」と表現され、彼女のトレードマークとなっています。この赤い髪は、彼女が抱えるコンプレックスの一つでもあり、彼女はしばしばその色を嫌っています。
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そばかす: 彼女の顔には「そばかすだらけ」と描写されており、これも彼女の外見の一部として強調されています。そばかすは、彼女の子供らしさを象徴する要素でもあります。
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やせっぽち: アンは「やせっぽちの女の子」として描かれ、体型も彼女の特徴の一つです。このやせた体型は、彼女の無邪気さや若さを表現しています。
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大きな目と口: アンの目は「大きく、光線や気分によって緑色にも灰色にも見える」とされ、彼女の感情豊かな性格を反映しています。また、口も大きく、彼女の表情の豊かさを強調しています。
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全体的な印象: アンは「普通の人が見ればこの程度だが、洞察力がある人なら、彼女の体には並々ならぬ魂が宿っている」と描写されており、外見だけでなく、彼女の内面的な魅力も強調されています。
口調とコミュニケーション
アンの口調は、彼女の性格を色濃く反映しています。
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文学的な表現: 彼女の言葉遣いは非常に豊かで、時には詩的です。彼女は自分の感情や思考を美しい言葉で表現することができ、これが彼女の魅力の一部となっています。おしゃべりが過ぎる点は否めませんが、それはとても上品なおしゃべりであり、マシューが惹かれた理由でもあります。
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率直さ: アンは自分の思っていることを隠さずに話すため、時には周囲の人々を驚かせることもあります。この率直さは、彼女の誠実さを示す一方で、時にはトラブルを引き起こすこともあります。
ポリシー・モットー
アンの人生におけるポリシーやモットーは、彼女の行動や思考に深く根付いています。
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「想像力があれば乗り越えられる」: 彼女は、困難な状況に直面したときでも、自分の想像力を駆使して乗り越えようとします。この姿勢は、彼女の成長と発展に大きく寄与しています。
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「美しさを求める」: アンは美しいものを愛し、日常生活の中で美を見つけることを大切にしています。彼女のこの価値観は、彼女の行動や選択に影響を与えています。
アニメ アン・シャーリーを見た
現代風と言えばいいのかもだけど、品のないおしゃべりと動作に苦虫ギリギリな気分
かばんのくだりがなかったのも残念だったし、そもそもかばんはそんな革のトランク型ではない!— へら (@herahuntbb) April 5, 2025
原作に詳しい読者ほど、アン・シャーリーに対して自分だけの人物像・イメージを持っています。それにそぐわない表現はなかなか受け入れるのが難しいかもしれません。
川又監督も公式サイトで次のようにコメントしています。
人それぞれのアン・シャーリー像があると思います。今回はそのイメージにとらわれずもう一度原作と向き合い、自分なりの解釈でアンを表現してみました。[監督:川又 浩]
原作を知らない視聴者なら問題なし?
L・M・モンゴメリが原作の「Anne of Green Gables」を発表したのは1908年。「赤毛のアン」は現在では古典の部類に入り、原作をきちんと読んでいる人は年々少なくなっています。とても残念なことですが、大量のメディアが氾濫するこの時代を生きる人々に、昔の名作を読む暇はありません。
また、1979年版のアニメを見たことのない視聴者も多いので、比較対象がなければ疑問や不満も起きません。最新のアニメの方が映像も美しく、キャラクターデザインやストーリーも現代風にアレンジされており、見やすいと思われます。
先入観を持たない視聴者が細かい点をまったく気にしないで楽しく鑑賞することができれば、原作に触れてみたいと思う人も出てくるでしょう。それはそれでアニメ化することの意義にかなっていると言えます。
現代の子ども層をターゲットにした場合、ビジュアル的にもストーリー的にも現代風にアレンジする必要があることも否定できません。”古臭い”とそっぽを向かれるよりは元気で面白いアンたちの姿を美しいアニメーションで見せたい、という意図があったのもうなづけます。
アン・シャーリー NHK Eテレにて只今放送中!! でも 昔の赤毛のアン見た人には違和感しかないとか 赤毛のアン…ホントはどんな話か知らなくても 初めてなら大丈夫!?#赤毛のアン pic.twitter.com/KvwERLBU6G
— ベッキー🍈フォロバ100(変垢以外) (@becky428719) April 6, 2025
アニメ化の意義
原作のある作品をアニメ化する意義として、次のような点が挙げられます。
- 原作ファン層の取り込み
- 新たな原作ファン層の開拓
- メディアミックスによる相乗効果
- 映像化による表現の拡張
- 海外市場への展開
- 作品の寿命を延ばす
これらの要素が組み合わさることで、アニメ化は商業的な成功に繋がりやすくなります。
アニメ化というのは本来、原作のストーリーや世界観を、動画という映像表現によって、より豊かに魅力的に伝えるために行われます。また、キャラクターの動きや表情、音楽、効果音などを加えることで、原作だけでは表現しきれなかった魅力を引き出すことも狙えます。
そういう観点で2025年版のアニメ「アン・シャーリー」を見たときに、”意義あるアニメだった”という評価がされるかどうか、今のところ明確ではありません。
”アニメ化の意義”を考えたときに、コアなファンの気持ちを逆なですることで炎上を起こして注目を浴び、結果的に原作に目を向けさせることができたとしたら、商業的には目標達成となります。
商業的な目的が明確な民放やオンデマンドと異なり、NHKは営利目的よりも名作「赤毛のアン」を広く世に知らしめることが狙い。現代風にいろいろ改変して見た目を美しくし、楽し気なシリーズ構成にした作品が、珠玉の古典児童文学の新たなファンの獲得につながれば、大人のファンから非難を受けたとしても目的を達成したと言えるのかもしれません。
#アン・シャーリー反省会
どんな形でも、若い人の新しい入口になってくれればいい。というポスト見かけた。
しかし全くの0とは言わないけれど、低クオリティのアニメ化で原作への導線になることはほとんど無い。
むしろこんなもんかと思われて、価値を毀損することの方が多いと思う。— 保志 和真(ほし かずま) (@hoshi_kazuma) April 6, 2025
まとめ
高畑勲監督の「赤毛のアン」は、原作の魅力を最大限に引き出し、アニメ史に残る名作として評価されています。2025年版「アン・シャーリー」は、新たな視点からアンの物語を描く試みであり、高畑勲版とは異なる魅力を放つことが期待されます。しかし、高畑勲版の偉大さ故に、比較される事は避けられないでしょう。
今回の2025年版アニメが「原作リスペクトに欠ける」と感じるファンが多く、「高畑版と比較して劣る」という声が上がっているのは事実です。大人のコアなファンが多い作品だけに、見る側の目が厳しいことは制作側も覚悟していたと思われ、今回の批判は想定内かもしれませんし、もっと言えば「狙い通り」かもしれません。
とはいえ、2025年版アニメ「アン・シャーリー」がどの様に評価されるのかはすべての放映が終了するまでわかりません。今後の情報に注目したいところです。